2003年11月29日
ピープルファースト大会in滋賀
日時:2003年11月29日(土)~11月30日(日)
場所:滋賀県大津市 大津市民会館/ピアザ淡海
<大会当日のスケジュール>
1日目 11月29日(土)
12:00 うけつけ開始
1:00 開会式
入場行進 参加人数発表 実行委員長挨拶 来賓挨拶
2:00 全体会
第1部
「サングループ事件の今までを振り返って」
(「立ちあがろう」上映会や事件の当事者の人にインタビュー)
3:00 休憩
3:15 第2部
「なかまと力をあわせて事件をなくし、人の権利を守っていこう」
(当事者を中心としたシンポジウム)
4:30 情報コーナー
(作業所などのおみせ・和太鼓・メイクコーナー・
アレンジメント・野田事件・展示コーナー)
6:00 交流会会場へ移動(琵琶湖ホテルへ)
6:30 交流会(立食パーティー)
(ダンスパーティー・ピープルファーストの主張)
8:30 1日目おわり
2日目 11月30日(日)
9:00 開場
9:30 分科会
グループ1 支援費制度
1 支援費分科会Ⅰ ガイドヘルパー・ホームヘルパー
2 支援費分科会Ⅱ グループホーム
3 支援費分科会Ⅲ 介護保険
グループ2 権利について
1 全国の仲間に対する人権差別と差別禁止法
2 虐待防止ワークショップ
3 セルフ・アドボカシー~自分のことは自分で選んで決める~
4 地域でピープルファーストをつくろう
グループ3 地域生活
5 友達と趣味
6 仕事(職場・作業所)
7 入所施設
8 恋愛・結婚・子育て・家族
9 一人暮らしをするために&お金のこと
10 言葉によるコミュニケーションがむずかしいことを語り合お
う
グループ4 みんなでしゃべろう
14 元気がでるはなし
15 ピア・カウンセリング
11:00 きゅうけい・会場のあいだを移動
11:30 閉会式
スローガン・ピープルファースト宣言
来年の開催地の発表
12:30 おわり
1195人もの参加者がこの大会に集まりました!!
プラカードで入場行進をして、舞台に全国のなかまが勢ぞろい。
全体会第1部では、サングループ事件勝訴の判決報告をし、事件の内容を劇にしたものや、事件の当事者にピープルファーストのなかまがインタビューをした映像をみました。
全体会第2部では、各地でおこっている事件の報告をし、なかまの権利をどうやって守っていけるかを話し合いました。
情報コーナーでは、滋賀の現地実行委員会が地元によびかけ、滋賀ならではの出展がありました。
←信楽焼きの展示会
フラワーアレンジメントの体験コーナー。普段滋賀の現地実行委員会のなかまが教わっています。→
←滋賀の和太鼓グループ「TAO」による、ちからづよい演奏!
閉会式では、滋賀大会副実行委員長の外村さんに大きな拍手が送られました。
当時の報告・感想
なかまと力をあわせて事件をなくし、人の権利を守っていこう!
―第十回ピープルファースト大会IN滋賀を振り返ってー
ピープルファースト大会IN滋賀現地実行委員会
2003年11月29・30日、ここ滋賀において10年の節目を迎えるピープルファースト大会が開催されました。大津市民会館、ピアザ淡海を会場にして、全体会や分科会などの学習や意見交換の場、そして、情報コーナー、夜のダンスパーティーなどの交流の場、どの会場も全国から集まった人たちで盛り上がりました。湖国に冬の到来を感じさせるあいにくの冷たい雨にもかかわらず、心温まる大会で終えられたのも大会を支えていただいたボランティアや会場の方々の協力のおかげと感謝しています。本当にありがとうございました。
しばらくは興奮が冷めやらぬ滋賀の実行委員のメンバーでしたが、先日1月24日、大会や長い準備期間を振り返りながら(実行委員のメンバー14名中参加者9名で)座談会をもちました。その時の報告をします。
―たくさんの人の前で挨拶をしたけど、どうでしたか
河瀬(大会実行委員長の挨拶):千百人の前でしゃべる
のはかなり緊張もあったけど、大会テーマであも
あるけど、全国の人と一緒に盛り上がって、一緒
に力をあわせていろんな事件の相談をしたい、そんなことを思いながら
言いました。
田中(開会式で参加人数発表を担当):緊張しました。しゃべれなかってかた
まってしまった。
溝口(閉会式で感想発表を担当):大きな声でしゃべれて良かった。みんなが
手をたたいてくれてうれしかった。
外村(開会宣言):上手くできたと思います。(閉会式でピープルファースト宣
言をする)難しかった。泣けたけどがんばりました。
人が集まる催しの運営や企画はもちろん、人前で挨拶をすることすらあまり経験のない滋賀のメンバーにとっては、大会のもつ十年の重さと同様に、「できた」自信の重さは本当に大きいものです。挨拶だけでなく、大会の中身を考えてきた経過の一つひとつもすごく自信になりました。
大会のテーマを決めるだけでも大変! 全体会はすごく練習しました
大会を引き受けたときから「自分らの力にあった、何か滋賀らしいことをしたいな」という声は出ていました。ちょうど一年前、サングループ事件の大津地裁での判決(2003年3月、大津地裁は和田社長及び国、県に対して賠償金の支払を命令。歴史的勝訴)を迎えての集会に参加し、被害者の人たちに出会ったメンバーからの意見をきっかけに、「やっぱり、地元でおきた事件やし大切なことやから、サングループ事件のことを大会でやろう」と具体的な声に変わりました。
全国実行委員会の会議に提案をしたのもこの頃です。
大会のメインになる全体会の内容と大会のテーマを検討しました。何度も全国実行委の人たちと協議を繰り返し、やっと決まったテーマが「なかまと力をあわせて事件をなくし、人の権利を守っていこうーサングループ事件の今までを振り返って」でした。全体会もサングループ事件のことを取り上げることになったものの、事件のことは『立ち上がろう!』(静岡大会、1997年)などで少し知っているだけです。何よりも自分たちが理解を深め、参加した人たちにできるだけわかりやすく説明できるようにと『立ち上がろう!』を滋賀大会版に作り変え、スクリーンに映し出しながら何度も練習を重ねました。また、大阪の人たちとインタビューに行き、いろんな話を聞いてそれを劇にする努力もしました。
―みんな全体会はどうでしたか
山城:全体会では『立ち上がろう!』の本を見て、こんなのしてみたいなと思っていて、どんなイメージかわかんなくて、石部の人(サングループ事件の被害者の人)に話し合いに行った。
河瀬:サングループの当事者の人に、宇野さんとも会って、大会のときに劇をするからどんなふうにしたらいいか相談をした。相談をしてうまく劇にできました。
山城:インタビューで思っていたことだけど、サングループではお正月に生きたタコをそのまま出していたり。
河瀬:そう、そのままタコがドーンと置いたんのや。
山城:被害者の人が(手首など)クサリをされたままトイレに行かされたり、
寝るときも。布団もボロボロだって言ってた。
河瀬:仕事が休みの時に(和田社長に)どこかへ行くかと言われて、ハイと返事をすると連れて行かれた場所が仕事場だった。僕なんかいややな。仕事の道具で殴られたって聞いた。僕も学校行ってて、急いで行っているのに先生に竹刀で足とか背中とかバシンと叩かれた。作業が終わってから校長室へ行ったけど聞いてもらえなかった。同じような経験をしたからよくわかる。
竹村:(劇で)和田社長役をやったけど、竹村銀行(と書いた大きな札束を振るのは)やめて欲しかったわ。でも僕がいなかったらみんなが困るだろうと思って、和田社長役をやったからよかった。またやりたいです。
河瀬:自分の中で考えていることがなかなか出てこなくて、難しかったと思います。
…全体会では、第一部「サングループ事件の今までを振り返って」で『立ち上がろう!』の上映にあわせて朗読劇などをやりながらサングループ事件の説明をしました。また、インタビューに登場してもらった被害者の人には、舞台に上がってもらって紹介もしました。第二部は「なかまと力をあわせて事件をなくし、人の権利を守っていこう」をテーマに、5名の当事者の方に登場を願いながらシンポジウムを行なっています。それぞれ全国の施設などでおきている差別や虐待などについて問題提起をしていただき、施設そのものの存在のあり方や事件をなくすための今後の取り組みなどについて議論が交わされました。滋賀大会をきっかけに、差別や管理されていることに気づき、おかしいぞを声を上げる当事者がもっと増えればと思います。
分科会:司会って始めてだけどうまくできた?
二日目の朝からは、各テーマごとの分科会です。支援費制度など生活を支える制度のこと、仕事や友達など毎日の生活のこと、差別や人権のことなど、大きく二会場に分かれて十五の分科会でレポートをもとに議論をしました。滋賀のメンバーからも、六名が慣れない司会やレポート発表にチャレンジしました。
―分科会を担当した人は感想をお願いします
山城:(「仕事」の分科会で発表したことは)八年間仕事をして、デパートの清掃、お店の掃除とかいろいろしてきて、仕事があまり面白くなくなってた。いじめられたり、変な目で見られたりして、ヘルパー資格の勉強をしてみたいと思って、両方するのは難しい。二級ヘルパーの勉強をしてきて、四月から六月まで、資格がとれて良かった。
(仕事を探しているときは)職安の人が難しいことをしゃべってきて、お金のこと、給料のこと、わかりやすいように説明してくれたらいいのになあ。どんな話を聞いてよいかわからなくって、一人で行くのが不安だった。(分科会では)会場で「がんばってね」と言ってくれてよかった。
外村:(「一人暮らしをするために&お金のこと」の分科会では)トトロ荘(滋賀・ぽてとファーム事業団で取り組む自立生活訓練事業)の写真を写し、パソコンであきさんとしました。六十五人きてくれてうれしかったです。熊本や京都の人から、一人暮らしをしている話がありました。一人暮らしをしてみたい人が五人いました。
中村:「恋愛・結婚・子育て」の(分科会の)司会をしました。家族のことを発表しました。緊張してしゃべれんかった。ウーン。
河瀬:大くん、自分もいっぱいやってたやん。言ったら。
中村:デートゲームもしました。いや、したかった。(他の司会の人に)助けてもらった。参加した人は、楽しんだと思う。またやりたい。
松山:(「虐待防止ワークショップ」の分科会)人数が少なかったので、やりやすかった。もう少し提案があればよかったなと思う。今度このような機会があればやりたいです。
全国のみんなと楽しみを共有したい
慣れない大会の開会式や全体会などを担当するだけでなく、いろんな企画を自分たちで準備してきました。せっかく滋賀でやるんだからできるだけ地元の人たちとつながってゆこう!と二十九日のアトラクションには地元の障害をもつ子どもたちの和太鼓グループ「TAO」演奏をお願いし、夕方からの交流会では、「ぴゅあぴゅあ」「SORA」の当事者バンドで盛り上がりました。また、全体会と同時進行で行なった情報コーナーでは信楽焼きの展示や現地実行委員のメンバーが習っている先生にお願いしてフラワーアレンジメントの体験も参加者でにぎわいました。自分達が日頃楽しんでいることをみんなと共有したい、その一念だけでしたが、皆さんがどのように感じられたか心配です。
―情報コーナーの担当者どうですか
北:メイクコーナーを担当したけど、準備したチケットが売り切れて緊急で作りました。評判が良くてよかったです。(交流会の司会など担当しました)
竹村:一つトラブルがあったん。(パネルに貼ってあるはずの)信楽焼きの写真が貼ってないのでびっくりした。それで机の上に置いたん。やっと終わって安心。
これからにつなげるもの-当事者主体の運動を広げよう
滋賀大会の現地実行委員はおもに、湖北の「ぽてとファーム事業団」と大津に拠点をおく知的障害者の外出サポート「よかとも」のメンバーで構成しました。それぞれがすでに、障害をもつ者の自己選択や決定を尊重しながら主体的な外出活動を展開し、地域であたりまえにくらすことを目指して活動を続けてきました。滋賀大会を引き受けることもこの二団体で話し合って決め、二十回ほどの現地会議を行なってきましたが、それぞれの活動拠点が琵琶湖をはさんで最北と最南ということもあり、お互いの意思を確認し合うだけでも大変な作業でした。
―会議や準備をしてきてどうでしたか
山城:一回目やからわからんかった。
松山:自分が(大会や会議など)できるかどうかわからんかった。
河瀬:一年間会議をしてきて、最初の実行委員会のときはかなり緊張したけど、徐々にやっていくうちに自信がついてきたのと、全国の人からいろんなアドバイスもあり、助けてくれる人もあって、自分ができるところは自分がやって、自分ができないところは支援者に人にきいたりしてきた。
外村:難しかった。みんなの意見を聞いてて難しい。
最初はいろんな人たちの意見あり会できずにどんどん進行して行く会議に任せるままでしたが、わからなかったら支援者に聞くことで、自分の思いも主張できるようになりました。また、そのための支援者呼びかけも会議ごとに行なってきました。大会の準備も大変でしたが、会議が理解できるよう相談したり、大会を手伝ってくれる支援者を増やすための努力(ビラまき、電話連絡など)はもっと大変でした。
でも、会議だけでなく準備や運営すべてを、自分たちで決め、自分たちで実行してきたこと、何よりみんなで協力しあった結果、大会を開催できたことは、本当に大きな自信になりました。この自信と、人と人とのつながりを原動力にして「障害者である前に人間なんだ」と叫び合えるたくさんの仲間を増やし、知的障害を持つ人たちの主体的な立ち上がりの輪を広げていかなければならないと思っています。
支援はこれでよかったのかな
会議では支援者の必要以上の発言に指摘を頂くなど、過去九回の大会と違って、本当に当事者主体の大会を準備できたのだろうかと反省もあります。大会を引き受けた当初から「会議がわからんなあ、困ったなあ」「どうする?」こんな問いかけの連続でした。でも「困った(わからなくなった)とき、どうしよう、じゃあ困らない(わかる)ためにこうしよう」このような思考の組み立ては、自分たちの暮らしや受ける制度に目を向け、疑問を持ち、矛盾に気づき、そして問題解決する力にいずれつながるものです。
ただ残念ながら、共にの思いで取り組みをする周辺の働く場や暮らしの現場も、当事者への十分な情報提供を怠ったり、「思い」や「生きる」主体を尊重せずにいつも支援者が答えを出してしまっているのが現状で、反省しなければなりません。
さて、これから滋賀で、地域でピープルファーストをどのように展開するか、現地実行委員会の中ではまだ結論は出ていません。差別や権利に視点をおき、今後の取り組みを展望する作業はまだまだ始まったばかりです。難しい言葉を前にして、メンバー自身の奮闘と、一方でどんな支援が必要なのか支援のあり方が問われているのだと思います。大会を開催(さい)してまた大きな課題を背負った滋賀のメンバーです。
河瀬:今年は徳島で大会があります。みんなで大会を盛り上げていきましょう。ぜひ皆さん来てください。
(福祉労働102号現代書館(げんだいしょかん)刊より転載)